2023年三河安城・豊橋3/25-8-
旧近衛邸です。
西尾市歴史公園公式ウェブサイトによると
京から移築された旧近衛邸は、摂家筆頭として左大臣を務めた近衛忠房に嫁いだ夫人の縁で
島津家によって江戸後期に建てられたもので、書院と茶室からなっています。
六畳の茶室は、床框(とこがまち)がひときわ高く、点前座の奥に床の間を構えた
「亭主床」(ていしゅどこ)という特異な構成で、瀟洒な花釘や花明窓(はなあかりまど)が用いられた
公家の茶の湯にふさわしい品格を感じさせるものです。
旧近衛邸ではお抹茶のサービス(季節の和菓子が付いて一服500円)が行われていて
外から見た、庭園。きれいに整備されています。
ちょうど桜が見頃でした。
由緒によると、祭神は殉国の英霊六百四十余柱となっています。
城内鎮護の社として歴代城主の尊崇を受け、社殿前には歴代の城主が寄進した石灯籠が並んでいて
現存する拝殿・本殿は、延宝6年(1678年)
西尾藩主・土井利長(どいとしなが=大老・土井利勝の三男)の寄進。
永禄4年(1561年)、西尾城を攻略して城主となった酒井正親(さかいまさちか=酒井政家)が
永禄7年(1564年)に寄進した鰐口(わにぐち)は、銘文に
「三川國吉良庄西尾御剱鰐口酒井雅楽助政家寄進」と記され
西尾という地名を使用した最古の遺物となり、西尾市の文化財に指定されています。
姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建ての楼門式の門で
規模が、東西2間2尺(4.2メートル)、南北4間2尺(7.9メートル)
高さ2丈4尺5寸(7.4メートル)でした。
現在、南側の土塁と石垣は失われましたが
北側の、丑寅櫓から伸びる土塁を断ち切る面に積まれた野面積みの石垣と
石垣に接して2つの礎石のみが残されています。
ここから、本丸丑寅櫓へ。
西尾市歴史公園公式ウェブサイトによれば
西尾城の特色は、天守が本丸ではなく二の丸にあり、城下に士農工商が混在していたこと。
「総構え(そうがまえ)」といって、城下町の周囲を堀と土塁で囲んだことです。
城郭図や平成6年の発掘調査をもとに、平成8年に再建された本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)は
本丸の丑寅(北東)の隅に建てられた櫓で、城内の隅櫓のうち一番高い建物でした。
三層、高さ約10メートルの木造本瓦葺、壁面上部は漆喰塗籠、腰部は下見板張りとなっています。
西尾市資料館の前からは、本丸丑寅櫓が綺麗に見えます。
せっかくなので、その資料館も見学させていただきました。
西尾城城下町のジオラマ。
鯱瓦。元禄15年(1702年)
鯱瓦の右側面の銘文から、瓦町に住んでいた原田八左衛門の作品であることが、分かるようです。
鉄黒塗切付札紺糸毛引威2枚道具足(てつくろぬりきりつけざねこんいとけびきおどし)。
大給松平家(最後の西尾藩主宗家)、西尾藩士家伝来品。
こうして、ゆっくりと西尾市歴史公園を巡ることができました。
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