2023年三河安城・豊橋3/25-7-
「平井」さんの美味しいうなぎでお腹を満たし、観光再開。
西尾市歴史公園に移動します。
元々この場所には、西尾城があったそうです。
城郭配置図によると、現在いる場所は
「二之丸・鍮石門(ちゅうじゃくもん)」のあたりでしょうか。
「西尾城郭覚書」によれば、承久の乱(1221年)の戦功により、三河国守護に任じられた
足利義氏(あしかがよしうじ)が築城した
西条城(さいじょうじょう)が始まりと伝えられています。
足利氏は吉良氏(きらし)と名を改め、この吉良荘を統治。
戦国時代には、城主が牧野成定、酒井正親、田中吉政と入れ代わるにつれ、城域も拡大。
江戸時代、大給松平氏(おぎゅうまつだいらし)の頃は
六万石の城下町として、栄えたそう。
それでは、鍮石門から公園内へ。
二之丸跡案内図。
文献等を参考に令和2年7月に復元した、二之丸丑寅櫓と土塀。
外から見えていたのは、この櫓です。
二之丸丑寅櫓は、天守があったとされる二之丸の北東隅(丑寅の方角)
鍮石門の北に位置しています。
外観は二重櫓ですが、内部は三階の望楼型。
屋根は入母屋造りで本瓦葺き、櫓の大きさは東西5.4m、南北7.2m、高さ8.3m。
丑寅櫓から天守台につづく土塀は約52m、高さは約2m。
木造で控え柱がある構造で、2ヶ所の折れを持ち、対応して土手も張り出しています。
これは「屏風折れ」と言って、全国でも珍しい特徴だそう。
残念ながら、二之丸丑寅櫓の内部に入ることはできません。
天守台跡への入口。
天守台跡。
それではまず、旧近衛邸へ行ってみましょう。
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