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2016年熊本3/21-5- 

<この記事は、2016年3月21日のものです。>

ようやく、天守閣の足元までやってきました。
2016日3月21日熊本城1
が、難攻不落との呼び声高い熊本城、すぐにはたどり着けません。
こちら側に入口はなく、さらに色々な見所が待っています。
井戸も、その1つ。
戦における水の大切さを知り尽くしていた、加藤清正公は
城内に、120あまりの井戸を掘らせたと言われています。
水面までの深さは、36m。
2016日3月21日熊本城2
大天守の梁。
この床板は取り外しができ、敵が石垣を登って来た時
ここから、石を落としたそうです。
2016日3月21日熊本城3
天守閣までの道は、6回も曲がりくねっていて
防御への執念すら感じます。
2016日3月21日熊本城4
こちらの石垣の真ん中に見える、丸い跡は
西南戦争時の火災により、変形したものだそうです。
2016日3月21日熊本城5
闇り通路(くらがりつうろ)。
二つの石垣をまたいで本丸が作られたため、ここが天守閣へと向かう
正式な入口となります。
2016日3月21日熊本城6
ちょうど、忍者と入れ違いになりました。
熊本おもてなし武将隊に、教えてあげたかったなぁ。
2016日3月21日熊本城7
闇り通路内部。
窓がないため、当時は灯りなしでは歩けず、侵入者を防ぐ役割もあったようです。
2016日3月21日熊本城8
闇り通路を抜けると、加藤清正公が、築城を記念して植えたと伝えられている
銀杏の樹があります。
清正公は亡くなる時
「この銀杏が天守閣と同じ高さになる時、異変が起こる」と、言い残していて
ちょうどその頃、明治10年の西南戦争が起こりました。
先ほど石垣の項でご紹介したように、西南戦争時には、火災が発生し
銀杏の木も、天守閣本丸御殿とともに消失しましたが
焼け残った根元から出た脇芽が、ここまで大きく育ったそうです。
2016日3月21日熊本城9
今度こそ本当に、天守閣の正面まできました。
2016日3月21日熊本城10
入り口を抜けると
2016日3月21日熊本城11
天守閣の中にまで、井戸があります。
2016日3月21日熊本城12
小天守から見た、大天守
2016日3月21日熊本城13
先ほど見学した、宇土櫓も見えます。
2016日3月21日熊本城14
再建された、鯱。
現在の天守閣は、昭和35年(1960)に再建したものです。
2016日3月21日熊本城15
熊本城の復元模型。
2016日3月21日熊本城16
小天守大天守の間にあるという、不思議な厠。
敵によじ登られるのを防ぐため、張り出した場所に作られたとか。
2016日3月21日熊本城18
大天守の最上階にある、上段の間。
2016日3月21日熊本城17
説明がなかったのですが、これも脱出路のひとつでしょうか。
2016日3月21日熊本城19
大天守からは、現在の熊本の街もよく見えます。
2016日3月21日熊本城20
大天守から見た、宇土櫓
2016日3月21日熊本城21
大天守から見ると、小天守は少しだけずれた位置に
建てられています。
2016日3月21日熊本城22
天守閣は、現在の建築法では高層建築になるため
古い写真をもとに、可能な限り正確に再建したそうです。

それでは続いて、同じく再建された、本丸御殿を見学します。
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