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2020年上田11/22-10- 

信濃国分寺駅までくれば、信濃国分寺までの案内が見えてきます。
2020年11月22日1信濃国分寺
奈良時代の国家的プロジェクト、信濃国分寺は、この地に建てられました。
7回にわたる発掘調査により、並び建てられた僧寺・尼寺の伽藍の全容が
ほぼ解明されたそうです。
現在は、しなの鉄道の線路や、国道18号が敷地の中を通っているんですね。
2020年11月22日2信濃国分寺
現在も発掘調査中のため、このエリアは立ち入り禁止。
2020年11月22日3信濃国分寺
いっぽう現在の国分寺は、源頼朝の命で復興したと言われ、ほど近い場所へ移転しています。
こちらが、仁王門
脇からも本堂へ行けますが、せっかくなので仁王門を通っていきましょう。
2020年11月22日4信濃国分寺
仁王門から本堂までの道。
住宅地の中を歩きます。
2020年11月22日5信濃国分寺
左側に白壁が現れました。
白壁の中には、阿弥陀仏殿と社務所があります。
2020年11月22日6信濃国分寺
こちらは一般公開されていません。
2020年11月22日7信濃国分寺
本堂が見えてきました。
2020年11月22日8信濃国分寺
まずは手水舎へ。
2020年11月22日9信濃国分寺
本堂を右にそれると
2020年11月22日10信濃国分寺
三重塔(重要文化財)が建っています。
室町中期の建立で、高さ20.1メートル。
初層内部は四天柱を立て、大日如来坐像が安置されています。
心柱は、塔の中心に吊り下げられたような形になっていて
東京スカイツリーと同じ仕組みとのこと。
2020年11月22日11信濃国分寺
昭和7年〜8年にかけて、解体修理が行われた時に取り替えられた、三重塔の古心柱
2020年11月22日12信濃国分寺
解体時の様子。
2020年11月22日13信濃国分寺
鐘樓。
上田藩主、松平伊賀守の後見により享和元年(1801年)棟上
(梵鐘は昭和27年の再鋳)。
2020年11月22日14信濃国分寺
そしてこちらが、本堂薬師堂(長野県宝)。
江戸末期の万延元年(1860年)竣工。
内部は、前側の外陣(参詣の空間)と、奥の内陣(仏の空間)にわかれ
本尊の薬師如来のほか、日光菩薩、月光菩薩及び、十二神将が安置されていて
近世の堂としては、東信地方最大の建造物だそうです。
2020年11月22日15信濃国分寺
大黒天堂。
輪王寺一品親王作と伝える尊像をまつり、大正13年再建。
2020年11月22日16信濃国分寺
第二次上田合戦時の、徳川秀忠(の家臣)と真田昌幸による停戦交渉の場が
ここ国分寺だと言われています。
正確な記録はないそうですが、「国分寺の会見」としてよく知られており
参拝者からも度々質問されるので、観音堂の前に、この碑が建てられたそうです。
2020年11月22日18信濃国分寺
もう少し時間があるので、信濃国分寺資料館へ行ってみましょう。
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テーマ: 国内旅行

ジャンル: 旅行

タグ: 信濃国分寺  僧寺築地塀跡  しなの鉄道  仁王門  阿弥陀仏殿  薬師堂  古心柱  信濃国分寺資料館  薬師如来 

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