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~山の上から地の果て、水の中まで~

ダイビングや山登り、旅行のブログです。現地で出会った、美味しいものも紹介しています。

2020年松山・道後1/13-8-

いよいよ、松山城本丸エリアへ。
ここから先は、有料となります。
2020年1月13日1松山城入口
それでは、天守閣目指して、いざ突撃。
2020年1月13日2本丸
本丸を目指し進んでいくと、まず紫竹門東塀(重要文化財)が現れます。
天明4年(1784)雷火の為、天守とともに焼失し
嘉永期に再建されたそうです。
2020年1月13日3紫竹門東塀
そのままクランク状の道を進むと
2020年1月13日4本丸
一ノ門(重要文化財)が現れます。
本壇の入り口にあたるため、この名がついたようです。
ちょうど、ニノ門南櫓三ノ門南櫓小天守に囲まれたようになっていて
攻め入った兵士は、ここで三方から射撃を受けることになります。
紫竹門東塀と同じく、天明4年(1784)雷火で焼失し
天明6年(1786)に、再建されました。
2020年1月13日5一ノ門
本丸が近づくにつれて、守りもどんどん固くなってきます。
一ノ門を通過すると、すぐにニノ門(重要文化財)が現れます。
三方からの射撃をくぐり抜け、たどり着いた強者も
ここでさらに、天守・三ノ門東塀から攻め立てられます。
天明4年(1784)雷火で焼失し、再建されたのは安政元年(1854)。
2020年1月13日6二ノ門
一ノ門ニノ門の次に現れるのは、三ノ門(重要文化財)。
またしても、三ノ門南櫓・天守の双方から浴びせられる、容赦ない攻撃。
雷火で焼失後、安政元年(1854)に再建。
2020年1月13日7三ノ門
一ノ門三ノ門で、侵入者を射まくった場所。重要文化財の三ノ門南櫓(左手前の建物)です。
雷火で焼失後、安政元年(1854)に再建。
正面に見えるのは、筋鉄門
雷火で焼失後、安政元年(1854)に、再建されましたが
昭和8年の放火によって一部焼失、昭和43年5月に復元。
2020年1月13日8三ノ門南櫓&筋鉄門
手前の白い塀は、筋鉄門東塀(重要文化財)
雷火で焼失後、安政元年(1854)に再建。
2020年1月13日9筋鉄門東塀
筋鉄門をくぐると、すぐ左側に、小天守
天守に次ぐ大きさで、二重二階の櫓です。
慶長年間の創建当時は、着見櫓と呼ばれていたそうです。
天明4年(1784)雷火で焼失し、安政元年(1854)に再建されました。
国宝に指定される直前、昭和8年の放火によって、惜しくも焼失。
昭和43年5月に復元。
2020年1月13日10小天守
そしてこの場所が、本丸を守る最後の防衛場所。
多聞櫓&南隅櫓&十間廊下&玄関多聞櫓&北隅櫓に囲まれた、袋小路です。
一ノ門ニノ門、三ノ門と、運よく通過してきた侵入者も
ここで四方向からの射撃を受け、本丸を目の前にして、ついに最後を迎えます。
2020年1月13日11多聞櫓&南隅櫓&十間廊下&玄関多聞櫓&北隅櫓
一方、すべての防衛ラインを突破したOつがいは、いよいよ天守閣に侵入。
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プロフィール

Oつがい

Author:Oつがい
ダイビングと、旅行が趣味の
Oつがいです。
ダイビングは、主に
伊豆で、潜っています。
カメラは、O夫が
Nikon P7100
Oつまが
SONY RX100Ⅱを
使っています。
山登りや、ツーリングも
大好き。
バイクはRVF
車はSHUTTLE HYBRIDで
あちこちに、出没。
家の近所から、世界の町まで
美味しいものを求めて
さすらっています。

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