2019年諏訪・蓼科7/6-7-
2019-11-30
信州そばでお腹を満たし、次に訪れたのは、茅野市尖石縄文考古館。

入館し、正面で出迎えてくれるのは、2体の国宝土偶のオブジェ。
これを見ただけでも、気分が盛り上がるOつがい。
というのも、昨年7月に東京国立博物館で開催された「縄文展」で
なんと、この2体だけが展示期間外で、見ることができなかったのです。

いよいよ、国宝との対面。
まずは、2体の国宝土偶のうちの1体、縄文のビーナス(実物)。
都内で展示されれば、行列必至ですが、ここではほぼ貸切です。
昭和61年、茅野市米沢の棚畑遺跡から、ほぼ完全な形で出土しました。
高さ27cm、重さ2.14kg。
縄文文化を評価する機運は最近のことで、国宝認定は、平成7年です。

作られた時期は、縄文時代中期前半(約5000年前)。
「出尻土偶」とも呼ばれ、ふくよかなお腹は、妊娠していることを表しています。

滑らかに磨かれているうえ、粘土に雲母が入っていることで、
全体が渋く輝いており、思わず見入ってしまいます。

こちらは、出土した時の写真。
お墓に埋葬された人の、副葬品だと考えられているそうです。

2体目の国宝土偶は、仮面の女神(実物)。
平成12年、茅野市湖東の中ッ原遺跡から出土。
高さ34cm、重さ2.7kg。

作られた時期は、縄文時代後期(約4000年前)。
横から見ると、逆三角形の顔は、仮面であることがわかります。

一説には、村を守るシャーマンの女性を表したものとも。
国宝認定は、なんと平成26年。

出土時の写真。
お墓の真ん中に横向きに置かれていたそうで、ここに住む集団にとって
大切な存在であったとみられています。

実は、縄文のビーナスと仮面の女神以外にも、国宝の展示があります。
鉢形土器。
最大高18.8cm、最大径27.3cm、底径7.0cm。

鉢形土器。
最大高10.5cm、最大径21.0cm、底径76.2cm。

浅鉢形土器。
最大高12.5cm、最大径25.6cm、底径10.2cm。

浅鉢形土器。
最大高11.0cm、最大径28.6cm、底径8.9cm。

以上4点、すべて国宝。
出土は、仮面の女神と同じく、中ッ原遺跡だそう。
作られた時期は、縄文時代後期(約4000年前)。
国宝土偶2体をゆっくりと見学できて、昨年来の念願成就です。
表に出ると、復元住居を見つけました。

与助尾根遺跡は、平成5年に尖石遺跡の一部として、特別史跡に追加されたそう。

現在6軒の復元住居があります。

現在もまだ、発掘中。

おっ。中ッ原遺跡が、中ッ原縄文公園として整備され
見学できるようです。

これは行ってみなければ。
予定にはありませんでしたが、仮面の女神のふるさと、中ッ原縄文公園へGo!

入館し、正面で出迎えてくれるのは、2体の国宝土偶のオブジェ。
これを見ただけでも、気分が盛り上がるOつがい。
というのも、昨年7月に東京国立博物館で開催された「縄文展」で
なんと、この2体だけが展示期間外で、見ることができなかったのです。

いよいよ、国宝との対面。
まずは、2体の国宝土偶のうちの1体、縄文のビーナス(実物)。
都内で展示されれば、行列必至ですが、ここではほぼ貸切です。
昭和61年、茅野市米沢の棚畑遺跡から、ほぼ完全な形で出土しました。
高さ27cm、重さ2.14kg。
縄文文化を評価する機運は最近のことで、国宝認定は、平成7年です。

作られた時期は、縄文時代中期前半(約5000年前)。
「出尻土偶」とも呼ばれ、ふくよかなお腹は、妊娠していることを表しています。

滑らかに磨かれているうえ、粘土に雲母が入っていることで、
全体が渋く輝いており、思わず見入ってしまいます。

こちらは、出土した時の写真。
お墓に埋葬された人の、副葬品だと考えられているそうです。

2体目の国宝土偶は、仮面の女神(実物)。
平成12年、茅野市湖東の中ッ原遺跡から出土。
高さ34cm、重さ2.7kg。

作られた時期は、縄文時代後期(約4000年前)。
横から見ると、逆三角形の顔は、仮面であることがわかります。

一説には、村を守るシャーマンの女性を表したものとも。
国宝認定は、なんと平成26年。

出土時の写真。
お墓の真ん中に横向きに置かれていたそうで、ここに住む集団にとって
大切な存在であったとみられています。

実は、縄文のビーナスと仮面の女神以外にも、国宝の展示があります。
鉢形土器。
最大高18.8cm、最大径27.3cm、底径7.0cm。

鉢形土器。
最大高10.5cm、最大径21.0cm、底径76.2cm。

浅鉢形土器。
最大高12.5cm、最大径25.6cm、底径10.2cm。

浅鉢形土器。
最大高11.0cm、最大径28.6cm、底径8.9cm。

以上4点、すべて国宝。
出土は、仮面の女神と同じく、中ッ原遺跡だそう。
作られた時期は、縄文時代後期(約4000年前)。
国宝土偶2体をゆっくりと見学できて、昨年来の念願成就です。
表に出ると、復元住居を見つけました。

与助尾根遺跡は、平成5年に尖石遺跡の一部として、特別史跡に追加されたそう。

現在6軒の復元住居があります。

現在もまだ、発掘中。

おっ。中ッ原遺跡が、中ッ原縄文公園として整備され
見学できるようです。

これは行ってみなければ。
予定にはありませんでしたが、仮面の女神のふるさと、中ッ原縄文公園へGo!
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