2019年半田・常滑2/10-7-
2019-06-29
半田赤レンガ建物の前の大きな道を渡ると、趣のある小さな道が現れます。
江戸時代に半田港が開かれるまで、千石船の出入りする
大野港と下半田を結ぶ道として賑わった場所で、紺屋海道と呼ばれています。
名前や海道の由来は諸説あるそうですが、地元では
古くからこの辺りに船の帆を染めた染物屋が、数件あったことから、
「紺屋」の名が付けられたのではないかと、考えられているそう。
「ほろ酔いで歩いたら、雰囲気を味わえず、もったいないかな」と
ビールを諦めた、というわけです。

歩き始めてすぐに、秋葉灯籠が現れます。
案内を要約すると
明和3(1766)年の正月20日、漁村亀崎村の未亡人お島のわらぶき家から出火し
村の主要部分を焼き尽くす大火になり、上半田の住人に強い防火意識が芽生え
防火の神、正一位秋葉神社(静岡県天竜川上流)の祠を建てたそうです。
この土地は、地主・堀崎一夫氏のご先祖が提供され
天保7年(1836)の第1回からなんと現在まで、代参が続けられているとのことです。

往時に思いを馳せながら、細い道を歩きます。
古い木壁が、そのまま残る家や

古い看板。

仕出し屋さんらしきお店や

門だけが残されている、空き地。

半田といえば、倉庫です。
黒壁は、木の板の表面を焼いて炭の状態にすることで、火事が起きた時
壁に水をかけ、火の粉が飛んできても、もらい火をしにくくする工夫だったそう。
なるほど〜。

このお煎餅屋さんは、ガイドブックにも載っている有名店。

愛知県指定天然記念物、摂取院のイブキ(一樹)。
幹囲375cm、根廻り800cm、樹高は15m。
半田市としては珍しい、ヒノキの大木だそうです。

このまま紺屋海道をのんびり歩きながら、半田運河へ向かいます。
江戸時代に半田港が開かれるまで、千石船の出入りする
大野港と下半田を結ぶ道として賑わった場所で、紺屋海道と呼ばれています。
名前や海道の由来は諸説あるそうですが、地元では
古くからこの辺りに船の帆を染めた染物屋が、数件あったことから、
「紺屋」の名が付けられたのではないかと、考えられているそう。
「ほろ酔いで歩いたら、雰囲気を味わえず、もったいないかな」と
ビールを諦めた、というわけです。

歩き始めてすぐに、秋葉灯籠が現れます。
案内を要約すると
明和3(1766)年の正月20日、漁村亀崎村の未亡人お島のわらぶき家から出火し
村の主要部分を焼き尽くす大火になり、上半田の住人に強い防火意識が芽生え
防火の神、正一位秋葉神社(静岡県天竜川上流)の祠を建てたそうです。
この土地は、地主・堀崎一夫氏のご先祖が提供され
天保7年(1836)の第1回からなんと現在まで、代参が続けられているとのことです。

往時に思いを馳せながら、細い道を歩きます。
古い木壁が、そのまま残る家や

古い看板。

仕出し屋さんらしきお店や

門だけが残されている、空き地。

半田といえば、倉庫です。
黒壁は、木の板の表面を焼いて炭の状態にすることで、火事が起きた時
壁に水をかけ、火の粉が飛んできても、もらい火をしにくくする工夫だったそう。
なるほど〜。

このお煎餅屋さんは、ガイドブックにも載っている有名店。

愛知県指定天然記念物、摂取院のイブキ(一樹)。
幹囲375cm、根廻り800cm、樹高は15m。
半田市としては珍しい、ヒノキの大木だそうです。

このまま紺屋海道をのんびり歩きながら、半田運河へ向かいます。
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