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2023年古代メキシコ展〜マヤ 都市国家の興亡〜7/17-3-

2024.05.16(Thu) | EDIT

マヤ 都市国家の興亡」(都市の交流 交易と戦争)
各地で王朝が林立したマヤ地域では、王朝間で盛んな交流が行われた。
定期的な儀礼や王の即位の際に、都の都市の王や貴族が訪問することが
多かったが、その際、美しい彩色土器などが贈答品として交換されたり
食料が貢物として、贈られたりした。
このような交流を通して、天体観測や文字についての知識が
都市間で共有された。
しかし、同盟関係にあった都市の関係が悪化し、戦争に至ることも多かった。
戦いでは、多くの敵を殺すことよりも、高位の人を捕虜に取ることが
重要視されたが、捕虜は自国に連れ帰り、そこで人身共儀に使うことも多かった。
戦争の勝利が、領土的な拡大につながることは、ほとんどなかったが
敗者が勝者の属国のような関係になったり、敗れた都市の経済や
建築活動が数十年にわたって、停滞することもあった。
古典期のマヤ低地南部においては、ティカルの王朝と
ジバンチェカラクムルを拠点とする王朝が、二大強国として
ライバル関係にあり、多くの都市がどちらかの影響下にあった。

「円筒形土器」
マヤ文明 600〜850年 出土地不明 土器、彩色

宮殿における外交儀礼が描かれているようである。
体を黒く塗り、動物の頭飾りを被った二人の人物が外交使節。
写真には写ってない側に描かれている、鳥の羽の頭飾りを被ったほうが
それを迎える側ではないかと推測される。
このような王朝間や主従関の訪問と貢物の交換は、マヤの権力者にとって
重要な行事であった。
体を黒く塗ることは、戦士や交易商人によく見られるため
そこに置かれた槍と共に、彼らが戦士であることを示すものかもしれない。
2023年7月17日22円筒形土器

「道標」
マヤ文明 600〜800年 パレンケ市パカル・ナ地区出土 石灰岩

パレンケの中心部と、周辺の町をつなぐ道の開設を記念して建てられた石彫りと思われる。
碑文は明確に解読できない部分もあるが
「1カヤブ(マヤ暦の日付)の日に、石の道の道標が建てられた」という
解釈が考えられる。
マヤ地域の各地で、サク・ビフ(白い道)やビフ・トゥーン(石の道)と
呼ばれる道が造られたが、人々の交通のためのものや
祭礼における行進のためのものがあったようである。
マヤの人々は、馬などの家畜に乗って移動することがなかったそうで
盛土され、漆喰で塗られていたという道は、必要不可欠なインフラだったのでしょう。
2023年7月17日23道標

「神の顔形エキセントリック(両面加工石器)」
マヤ文明 711年頃 エル・パソマール出土 チャート

金属をもたなかった古典期のマヤ人は、黒曜石やチャートなどを使って
ナイフなどの道具を作ったが、英語でエキセントリックと呼ばれる
様々な形の際祀具も制作した。
石灰岩と混在するチャートは、マヤ低地各地で見つかるが
大型のエキセントリックに使われる上質のものは、ベリーズ北部など
限られた地域でのみ、得られた。
本作は、711年の日付をもつエル・パルマール石碑10の建立の際に
埋蔵物として納められたものであり、1936年にエリック・トンプソンにより
発見された。
4つの角にみえる人の顔のようなものは、世界の四隅を守る神を
表しているのかもしれない。
2023年7月17日24神の顔型エキセントリック

「首飾り」
マヤ文明 250〜1100年 出土地不明 貝、緑色岩

マヤ人は緑色岩やいろいろな種類の貝を使って装飾品を作ったが、特に珍重されたのは
ヒスイとウミギクガイであり、この首飾りもそれらの材料で作られていると思われる。
ヒスイの産地は、グアテマラ南東部のモタグア川流域のみであり
そこで得られたものが、マヤやメソアメリカの各地に輸出された。
明るいオレンジ色をしたウミギクガイは、太平洋沿岸で採取され各地に流通した。
中央のペンダントは、トウモロコシ神を表していると思われる。
2023年7月17日25首飾り

「アラバスター容器」
マヤ文明 800〜1530年 ユカタン州出土 アラバスター(トラバーチン)

炭酸カルシウムが層状に堆積した、半透明のアラバスターで作られた容器は
メソアメリカ各地で、珍重された。
アラバスターは、マヤ低地に多い鍾乳洞でもとれるが、このようにきれいな
水平の層があるものは、高地の火山地帯からもたらされたと考えられる。
アラバスター容器は、ユーラシア大陸の遺跡からよく見つかりますが
メキシコからも出土しているとは知りませんでした。
2023年7月17日26アラバスター容器

猿の神とカカオの土器蓋」
マヤ文明 600〜950年 トニナ出土 土器、彩色

マヤやアステカなど、メソアメリカの人々は、カカオから作った飲料を好んだ。
カカオはマヤ低地でもとれるが、より高温多雨のメキシコのチアバス州から
グアテマラにかけての太平洋岸が特に重要な産地であり、そこからメソアメリカ各地に
輸出された。
土器の蓋である本作は、カカオの果実を首飾りとして着けた、猿の神が描かれている。
猿はカカオの果実を好んで食べるため、カカオと結びつけられることが多かった。
今では常識である、カカオの豊富な栄養素を、当時の人々もよく理解していたのでしょう。
2023年7月17日27猿の神とカカオの土器蓋

「トニナ石彫171」
マヤ文明 727年頃 トニナ、アクロポリス、水の宮殿出土 砂岩

マヤ人にとって球技は、スポーツ、娯楽であると共に、宗教的な儀礼でもあった。
中央と右側の碑文は
「7エブ5カンキンの日(727年11月4日)、トニナ王キニチ・イチャーク・チャパト(王5)の
▫️▫️▫️(政治外交的関係を示すであろう未解読文字)である
ユクノーム・トーク・カウィール王が、球技を行っている姿」
左の碑文は
「20以下の歳のトニナ王キニチ・バークナル・チャーク(王3)が
球技を行っている姿」と、読める。
キニチ・イチャーク・チャパトは、本作が彫られた時点での、トニナの王であるが
キニチ・バークナル・チャークは、その20年前に亡くなった、2代前の王である。
しかも、キニチ・バークナル・チャークが35歳で王に即位する以前の
おそらく10代の姿で、描かれているのである。
ユクノーム・トーク・カウィールについては、その王朝名が書かれていないが
本作が彫られた時点での、カラクムルの王を指すものと思われる。
トニナとカラクムルの間に、その詳細は不明なものの
何らかの外交関係があったのであろう。
2023年7月17日28トニナ石彫

「トニナ石彫153」
マヤ文明 708〜721年 トニナ出土 砂岩

マヤやアステカの戦争では、捕虜を捕えることが重要だった。
マヤの王や貴族も戦闘に参加して、その強さを証明せねばならず
負ければ、捕虜にされることもあった。
捕虜は、勝者の都市に連れて行かれ、本作にみられるように
服や装飾品を剥がされ、ピアスの穴に紙の帯を通されたうえ、縄で縛られた。
捕虜は、さらし者にされたのち人神供犠に捧げられたり
奴隷にされたりすることが多かったがときには
捕えられた王が生きて本国に返されることもあった。
マヤ地域の南西の辺境にあるトニナには、このような捕虜を描いた石彫が特に多く
その交戦的な傾向がうかがえる。
本作の捕虜は、褌の部分に彫られた文字から
「トニナの王4(名の読み方は不明)に捕えられた
アフ・チーク・ナフブ(カラクムルの人の意)」であることがわかる。
2023年7月17日29トニナ石彫

「書記の石板」
マヤ文明 725年頃 パレンケ、王宮の塔出土 石灰岩

戦争による捕虜の扱いには、様々のものがあったと考えられる。
裸にされて責め苦を加えられたうえ、乱暴に殺されることもあったが
荘厳な儀式に参加したり、人神供犠をまぬかれたりすることもあったようである。
本作に描かれた人物は、捕虜のしるしとされる紙の帯を耳に通しているが
左手に持った旗のようなものと、右手に掛けた布は、儀式用の出立ちを表すと考えられる。
「書記の石板」という名は、この人物が右手に持つものが
筆のようにみえることからくるが、その解釈が正しいかどうかははっきりしない。
壊れた状態で発見され、碑文が断片的なこともあり、解釈が難しい。
2023年7月17日30書記の石板

捕虜や生贄など、刺激的なイメージが先行しがちなメソアメリカ文明ですが
ここまで見てきた様々な遺物のおかげで、決してそれだけではない
豊かな世界であったことを、伺い知ることができました。

次回は「パカル王赤の女王 パレンケの黄金時代」についての展示です。
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2023年古代メキシコ展〜マヤ 都市国家の興亡〜7/17-2-

2024.05.12(Sun) | EDIT

「都市国家の興亡」(マヤ世界に生きた人々)
古典期の多くの都市が栄えたマヤ低地における居住形態は、土地中心部から
各居住区がある程度の間隔を保ちつつ広がるもので、都市とその周辺部境界が
明確ではない。
これは、大規模な農地の造成に向かない熱帯低地の環境に合わせて
都市機能や、住居地と農耕地が入り組んだ生業形態を反映するものである。
この点で、人口の集中した大都市を造った、テオティワカンと対照をなす。
マヤ文字を書き残した書記は、上流階級の出身であり、文字の習得のほかにも
天体観測や、暦の記録の担い手であり、彩色土器などの美術品の製作や
音楽などにも優れていた。
その点で、書道や和歌が皇族や貴族によりたしなまれた
日本の文化に通じるものがある。

支配者層の土偶
マヤ文明 600〜950年 ハイナ出土 土製、彩色

王、あるいは、それに次ぐ高位の男性を表した土偶。
大きな口を開けた蛇の冠を被り、壮麗な服を着て、円形の王座か椅子に座っている。
左手に持っている袋は、コーパルと呼ばれる樹脂を使った香を入れているのかもしれない。
このような豪奢な服装は、大きな祭祀の際に使われたものである。
コーパルは、焚くとスパイシーで甘い香りがするそうです。
2023年7月17日8支配者層の土偶

貴婦人の土偶
マヤ文明 600〜950年 ハイナ出土 土製、彩色

美しい服装から高い位の女性であることががわかる。
儀礼か、宮廷での謁見のための壮麗な出立と思われる。
頭髪はきれいに整えられ、大きな頭飾りを着けている。
青色のドレスを表す部分は、マヤ・ブルーで彩色されている。
前頭部から頭頂にかけて、後ろに長く伸びた頭の形をしているが
この形状は、トウモロコシの実のような形をした、トウモロコシ神に
似せたものと、考えられる。
このような頭蓋変形は、生まれて間もなく、頭骨が軟らかいうちに
圧力をかけることによりなされ、王侯貴族にとって、特に重要であった。
口のまわりには、入れ墨か皮膚に傷をつけた装飾(スカリフィケーション)による
文様がみられる。
人間はトウモロコシから生まれたとされていたので、創造主に近づくため
魂が宿ると信じられていた、頭部の変形をおこなったと言われています。
2023年7月17日9貴婦人の土偶

戦士の土偶
マヤ文明 600〜950年 ハイナ出土 土製

土偶に表された戦士像には、戦場や敵地への遠征には向かない
大きな防具や装飾品を着けたものが多く、それらは都市で行われた
儀礼的戦闘の闘士や、儀式用の盛装をした戦士を表していると考えられる。
壁画などに描かれた戦場のシーンでは、戦士たちはより身軽な出立をしている。
マヤや他のメソアメリカの人々は、戦士同士の試合や、捕虜と戦士の格闘を
儀式の一部として行ったが、盾とこん棒などを使ったもののほか
ボクシングのようなもの、尖った骨製の武器を使ったものなど
いろいろな形態があったようである。
アステカ人が、このような格闘試合を捕虜を殺す人身供儀の方法としても
行ったことが記録されており、マヤでも同様のものがあったと考えられる。
2023年7月17日10戦士の土偶

捕虜かシャーマンの土偶
マヤ文明 600〜950年 チアバス州シモホベル出土 土製

マヤの土偶にはいろいろな人々を表したものがあるが、どのような社会的役割を表すのか
不明な場合も多く、この作品も解釈が難しいものの1つである。
一説では、帯を巻いた頭飾りは神官を表すとされる。
この場合、首と左手に巻かれた縄は、儀礼の種類に合わせたものと考えられる。
しかし、戦争の捕虜を表すという解釈のほうが、可能性が高い。
この男性は、ヒスイの耳飾りの代わりに、紙でできた柔らかい帯を
ピアスの穴に通しているが、これは石彫などでは、捕虜を表すものとされる。
また、首と左手に着けられた縄も、捕虜としての身分を示すと考えられる。
その毅然とした姿から、もともと高位の人であったことがうかがえる。
口の周りにある入れ墨か、スカリフィケーションの痕も
高い位を表すとする説もある。
この男性の貫頭衣と腰布を着けた身なりは、奴隷となり主人に仕える姿を
表すものかもしれない。
2023年7月17日11捕虜かシャーマンの土偶

道化の土偶
マヤ文明 600〜950年 ハイナ出土 土製

おもに「太った男」と呼ばれるタイプの土偶は、マヤ地域の多くの遺跡で発見されている。
この土偶のように、綿入れのような防具を着けているものが多く
戦士としての役割があったと思われる。
しかし、身体的な美しさを強調した王侯貴族や他の戦士の像と対照的な体型や
おもに儀礼に使われるうちわを持っているものもあることから、戦場での戦いではなく
都市における、儀礼的な格闘を行ったと推測される。
また「太った男」が、喜劇的なパフォーマンスを行なっている図像もあるため
道化師のような役割も、もっていたと考えられる。
2023年7月17日12道化の土偶

書記とみられる女性の土偶
マヤ文明 600〜950年 ハイナ出土 土製

高位の女性を表した土偶。
頭髪はきれいに切り揃えられており、ヒスイ製と思われる大きな首飾りと
腕輪を着けている。
右手で押さえているものが絵文書とすると、女性の書記を表しているのかもしれない。
碑文などに書かれ、名前が間違いなくわかる書記はすべて男性であり
女性の書記が存在したかについては、議論が続いている。
いずれにしても、文字の読み書きはエリート層のみに与えられた特権でした。
2023年7月17日13書記とみられる女性の土偶

「骨製品」
マヤ文明 600〜950年 オシュキントク出土 骨

書記が使った筆の柄とする説もあるが、装飾品の可能性が高い。
かんざしのように頭髪に着けたか、衣類に通すなどして使ったと思われる。
2023年7月17日14骨製品

織物をする女性の土偶
マヤ文明 600〜950年 ハイナ出土 土製

ここに表されている、バックストラップルーム(腰機)と横糸を通す杼などの道具は
現在も変わることなく使われている。
古典期の石碑や土器には、上流階級が身に着けた色とりどりの文様をもった
華麗な服装が描かれており、このような織物は貢納品や交易品として珍重された。
その一方、平民は無地の布を使っていたと考えられる。
この女性も書記の妻と考えられており、夫婦で様々な仕事に携わっていました。
2023年7月17日15織物をする女性の土偶

「紡錘車」
マヤ文明 年代不詳 出土地不明 土製
2023年7月17日16紡錘車

「紡錘」
マヤ文明 年代不明 出土地不明 木

このような紡錘車に、木の棒などを通したものに、綿花の先端部をつけ
独楽のように回しながら綿を引き伸ばして、糸を撚った。
土製のもののほか、石製の紡錘車も使われた。
2023年7月17日17紡錘

鹿狩りの皿
マヤ文明 600〜700年 出土地不明 土器、色彩

大型獣の少ないマヤ地域では、鹿は最も重要な狩猟対象であり、動物性タンパク源であった。
本作には、鹿の頭飾りを被った狩人が、吹き矢を使って鹿を狩る様子が表されている。
中央には、仕留めた鹿を背負って運ぶ人が描かれている。
鹿の頭飾りは、狩猟の際のカモフラージュの用途のほか、儀礼や戦争の時にも
上流階級の者が被ることがあり、何らかの象徴的な意味があったと考えられる。
古典期の終わりになるまで、弓矢を使わなかったと考えられるマヤ人にとって
吹き矢は主要な狩猟道具であった。
しかし、マヤの吹き矢は、粘土玉を飛ばして、おもに鳥を撃つのに使われたもので
鹿を狩るのに、どれほど有効であったか疑問である。
2023年7月17日18鹿狩りの皿

「円筒形土器」
マヤ文明 600〜850年 出土地不明 土器、彩色

おもにカカオの飲料に使われた円筒形土器。
カカオで作った飲料は、マヤや他のメソアメリカの人々にとって重要な嗜好品であった。
トウモロコシの粥や、唐辛子と混ぜたり、蜂蜜で甘みをつけたりするなど
いろいろな飲み方があったようである。
精力剤や薬として珍重された、カカオ・ドリンクのおかげもあってか
王や貴族の体格は庶民より良く、80歳代まで生きた王もいるそうです。
2023年7月17日19円筒形土器

「押型」
マヤ文明 600〜950年 ハイナ
2023年7月17日20押型

左「押型」
マヤ文明 年代不明 出土地不明 土製
右「押型」
マヤ文明 年代不明 出土地不明 土製

このような押型は、前1000年頃からスペイン人侵入まで、メソアメリカ各地で使われたが
その出土数はそれほど多くない。
赤、黒、白などの顔料が残っているものもあるため
布や皮膚に文様をつけるためのものという解釈が、一般的である。
しかし、印(はんこ)のように紙などに使われた可能性もあり
その用途や意味にについては、わからないことが多い。
2023年7月17日21押型
次回は「都市の交流 交易と戦争」についての展示です。

2023年古代メキシコ展〜マヤ 都市国家の興亡〜7/17-1-

2024.05.09(Thu) | EDIT

「マヤ 都市国家の興亡」(世界観と知識)
スペイン人による征服以前、マヤ地域は政治的に統一されることはなく
多くの王朝や都市が並立した。
王、あるいは王朝と呼べるものが前300年頃には形成しつつあったと考えられるが
解読可能な碑文や王墓を伴って、王朝の文化と統治形態が明確に認識できるようになるのは
1世紀頃である。
250〜950年頃の古典期には、ピラミッドなどの公共建築、集団祭祀
緻密な暦などに特徴づけられる都市文化が、花開いた。

マヤの人々にとって、人生や社会の出来事は、神々の行いや
天体、山、洞窟などの、自然界の事象と深くつながっていた。
そのため、天体の動きを観察し、それに基づいた緻密な暦を作り
都市の広場で行われる集団祭祀のほか、自然景観のなかに点在する
聖なる場所で儀礼を行うことは、世の中の秩序を維持するために必要と考えられた。
中国や日本の暦に吉凶の日があるように、マヤの暦も人々の運勢に関わっていた。

それでは第2会場へ。
2023年7月17日1マヤ都市国家の興亡

星の記号の土器
マヤ文明 700〜830年 出土地不明 土器、彩色

太陽と月と並ぶ重要な星として、マヤや他のメソアメリカの人々は
金星を崇め、観測した。
地上から見えない期間を挟んで、明けの明星、宵の明星としての期間からなる
金星の周期が584日であることが、正確に記録された。
本作中央の十字形と4つの円からなる黒い記号が、金星、ないし
星を表すものであるが、この図像全体が特定の神か、擬人化された金星
ないし、他の星を示すのか明らかでない。
尾を引くような図柄は、流星を表すのかもしれない。
当時、金星は「危機」を司る星として認識されており
古典期の戦争は、金星の動きと連動していたことがわかっているそうです。
2023年7月17日2星の記号の土器

吹き矢を使う狩人の土器
マヤ文明 600〜830年 出土地不明 土器、彩色

古典期から現代に至るまでマヤ人は、本作に描かれているような粘土玉を詰めた吹き矢を
鳥を撃つのに使ってきた。
つば広の帽子は狩りの際によく使われていたようである。
後古典期の絵文書には、体を黒く塗った狩りの神が描かれており
本作も狩りの神、あるいはその神の姿をとった人が描かれていると考えられる。
2023年7月17日3吹き矢を使う狩人の土器

セイバの土器
マヤ文明 600〜830年 出土地不明 土器、彩色

熱帯雨林の中でもひときわ高く真っ直ぐにそびえ、白っぽい色の幹をもつセイバは
見る者に畏敬の念を呼び起こす。
マヤ人にとってセイバは神聖な木であり、地下世界、地上の世界と
天上界をつなぐものと考えられた。
その上には、マヤの重要な神である、イツァムナーフの化身である
鳥の神が描かれることが多い。
「生命の木」セイバに支えられた世界のうち、神々が支配する天上界と地下界の間に
人間が暮らしていると考えられていました。
2023年7月17日4セイバの土器

夜空を描いた土器
マヤ文明 600〜830年 出土地不明 土器、彩色

天体の動きは地上の出来事と密接に関わっていると考えたマヤ人は、太陽のほか
月や金星などの、夜空の星の動きを詳細に観測した。
本作の上半分には夜空の様子が描かれており、中央の大きな文様は月を表す。
月の文様が黒い楕円形に囲まれているのは、月食を表しているのかもしれない。
両端には金星か他の星の文様が描かれている。
4本線が入った丸い文様は通常太陽を表すが、この場合星を示すのではないかと
考えられる。
下半分の文様の意味は不明だが、夜行性の鳥の羽を表しているのかもしれない。
2023年7月17日5夜空を描いた土器

金星周期と太陽暦を表す石彫
マヤ文明 800〜1000年 チチェン・イツァ金星の基壇出土 石灰岩

チチェン・イツァの「金星の基壇」と呼ばれる建物を飾っていた彫刻。
メキシコ中央部の図像で、左側が金星を、右側が太陽暦の年を表す。
金星の記号の右にある縦の棒が、マヤ表記で数字の5を表し
右側の8つの丸が、メキシコ中央部等の表記で数字の8を表す。
584日の金星の周期5回分が、365日の太陽暦の8年に当たることが
示されていると考えられる。
この図像のスタイルは、チチェン・イツァの人々がメキシコ中央部の文化要素を
取り入れていたことを示す。
マヤ暦は有名ですが、農耕用の暦に宗教儀礼用の暦、さらには
400年が1単位という、長期暦まであったというのですから、驚きです。
2023年7月17日6金星周期と太陽暦を表す石彫

トニナ石彫
マヤ文明 799年頃 トニナ出土 砂岩

碑文の内容は
「3マニ0ムワーンの日(799年10月31日)に、トニナの王1(名前の読み方は不明)の墓に
2度目の火を入れる儀式が、トニナの王8(名前の読み方は不明)によって行われた。
その3758日前の2ムルク12チェンの日(789年7月13日)に
「チフの都の者の捕獲者」という称号をもつポモイの都の者が捕えられた」
マヤ人にとって先祖の崇拝は極めて重要であり、先祖の墓を開け松明を持って入り
骨や副葬品を取り出したりすることがあった。
それは祖先とのつながりを強め、現世の王の権威を確認する意味もあった。
また、マヤの戦争では高位の人を捕虜に取ることが重要であった。
石彫の中央には、トニナの王8に捕えられたポモイの人が
衣服を剥がされ、縄で縛られ、ヒスイの耳飾りの代わりに、紙の帯を耳につけられるという
辱められた捕虜の姿で描かれている。
この人物も「チフの都の捕獲者」という称号を持つことから
高名な戦士であったと思われる。
碑文は、トニナの王8が799年時点で40代か50代の歳にあり
「9人ないし多数の捕獲者」という称号を持っていたことを記している。
この戦いに長けた王にとっても、ポモイの戦士の捕獲は特に誇れるものであったのだろう。
2023年7月17日7トニナ石彫

マヤ文字が解読されているおかげで、今から1500年前に起きた出来事も
こうして具体的に知ることができます。

次回は「マヤ世界に生きた人々」についての展示です。

2023年古代メキシコ展〜テオティワカン神々の都〜7/17-4-

2024.05.05(Sun) | EDIT

テオティワカン神々の都」(都市の拡がりと多様性)
古代テオティワカンでは、約10万人の住民が密集した都市空間に住んでいた。
2000ほどのアパートメント式住居は、石像建築で窓がなく
多くの部屋は壁画で飾られていた。
漆喰の壁に極彩色で描かれた神々や神官、神話的世界、さらに幾何学文様に囲まれて
生活していたグループと、都市の境界地区の壁画のない質素な住居群に住む集団との
社会階層差は、遺物や埋葬体の違いからもみて取れる。
遠隔地オアハカやマヤなどからの、移民集団住居区も発見されており
交易や市場の経済活動も活発な、多民族が交雑する都市であったといえる。

「香炉」
テオティワカン文明 350〜550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ、宮殿B出土
土器、彩色

くびれた胴部をもつ本体と、装飾片で覆われた蓋からなる土製の香炉台セット。
香を焚く無装飾の胴部の背面は、煙突部につながり胴部の上の蓋には様々な幾何学文様
動植物や戦士のシンボル、仮面などの装飾片が貼りつけられ
全体のメッセージを構成した。
本作は、鷲と蝶の図柄を中心に、矢と盾、鏡など戦士の装具がちりばめられ
死んだ戦士の鎮魂の儀式に使われたと思われる。
2023年7月17日25香炉

嵐の神の壁画
テオティワカン文明 350〜550年 テオティワカン、サクアラ出土
土漆器、鉱物顔料

この壁画は、テオティワカンの主神の1つである嵐の神
もしくは、アステカ時代にトラロク神と呼ばれた、雨の神を表す。
左手には香袋を、右手には背負い籠にも描かれたトウモロコシを持ち
それを人々に与えている雨神、あるいはトウモロコシの儀礼場所の
描写と考えられる。
2023年7月17日26嵐の神の壁画

嵐の神の屋根飾り
テオティワカン文明 250〜550年 テオティワカン、サクアラ出土 土製、彩色

このような屋根飾りは、サクアラ住居の中庭に面した四方の部屋の上部に設置されていた。
図像で覆われた突出部は、住民の世界観を表す神々、動植物、様々なシンボルが描かれ
生活空間を意味づけていた。
本作は、頭飾りを被り、両手をかざした嵐の神を表し
雨に関わる信仰に寄与していたと思われる。
2023年7月17日27嵐の神の屋根飾り

「香炉」
テオティワカン文明 350〜550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土 土器、彩色

本作の中心となるメッセージを構成する、蓋部の中央にはマスクを貼りつけ
頭部には死んだ魂のメタファーである蝶や鷲、花、羽毛などで飾られた頭飾りを模し
向かって左側に弓矢の束と鏡、右側には盾と鏡また胴部には
「年の束(暦のサイクル)」と呼ばれる符号片が5つ並ぶ。
死んだ戦士を弔う道具だったと考えられる。
2023年7月17日28香炉

「マスク」
テオティワカン文明 350〜550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土
石灰岩、貝、黄鉄鉱

テオティワカンのマスクは、世界中の博物館などで、550点ほど見られるが
本作は都市の中心地区近くの発掘調査で出土した、数少ない事例の1つである。
テオティワカンの特徴的な瞳孔、鼻、口元の丁寧な加工がみられ
頬には象嵌予定であったと思われるくぼみがあり、使用痕のない耳と頭部の小穴は
つなげて使用する意図を示唆している。
制作直後、まだ使用前のものだった可能性がある。
2023年7月17日29マスク

盾を持つ小像
テオティワカン文明 450〜550年 出土地不明 450〜550年 土製、彩色

具体的な出土地は不明で、一面布のような頭巾は稀だが、他の図像から
テオティワカン文明の作品と思われる。
顔面装飾、ペンダント、太い腰ベルト、そして両手に持つ盾は
典型的な羽毛付円盤をベースとした、テオティワカン様式である。
テオティワカンでは、土偶の数のうち圧倒的に戦士像が多い。
2023年7月17日30盾を持つ小像

鳥形土器
テオティワカン文明 250〜550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土 土器、貝、緑色岩

食料源を多様な動植物に依存するテオティワカンでは、様々な動物の土偶や図像が多い。
本作は、付随する奇妙な装飾片から発掘者により「奇抜なアヒル」と命名された
非常に稀な動物型土器。
多くの貝製品と共に見つかり、出土地はメキシコ湾との交易を行う
貝商人の基地だった可能性を示唆する。
2023年7月17日31鳥型土器

「人形骨壷」
サポテカ文明 450〜550年 テオティワカン、オアハカ地区出土 土器、緑色岩、貝、彩色

テオティワカン内のオアハカ移民地区で出土した土製壺。
胎土分析からモンテ・アルバン(アツォンパ)で作られ、持ち込まれたと考えられている。
壺の人座像スタイル、円筒形頭飾りの文様と、その前頭部に刻まれた
「8のトウモロコシ」の絵文字、そして口マスクの形象は
遺物がサポテカ族の製作であることを、傍証する。
おそらく、テオティワカン住民と交雑したサポテカ血縁集団のリーダー
もしくは、神格化した先祖、神を表していたと推測される。
2023年7月17日32人型骨壷

「三足土器」
テオティワカン文明 450〜550年 テオティワカン、テティトラ出土 土器、漆喰、鉱物顔料

典型的なテオティワカンの三足土器で、古代国家の最大の関心事である
生贄儀礼の様子が描かれている。
高位の神官、あるいは戦士が暦に関わる頭飾りを被り、左手には槍
右手には心臓が突き刺さった波状のナイフを握っている。
楕円形の心臓からは、大粒の3滴の血が滴り、さらにその前方(左)には
その心臓(を取られた生贄犠牲者)から発するように、言葉のサインが描かれている。
2023年7月17日33三足土器

「鏡の裏」
テオティワカン文明 450〜550年 テオティワカン テオティワカン出土 土製

黄鉄鉱の鏡の裏に貼りつけられた土製の円盤に、羽を広げた鷲が
その体の中央に、盾と交差した投槍器を携えている図像がかたどられている。
実際の歴史的人物が描かれている可能性が高く、テオティワカンで初めて認識される
王の図像かもしれない。
マヤ低地の中心センター、ティカル地域で記録されたテオティワカン王は
投槍フクロウ」と命名され、378年の「侵入」といわれる、ティカル征服を企て
のちに自分の息子をティカル王につけたと、解釈されている。
2023年7月17日34鏡の裏

メキシコ中央高地にあったテオティワカンと、ユカタン半島中央部にあったティカル。
遠く離れた場所にありながら、良好な関係とは言えなくても
強い結びつきがあったとは、驚きです。
ティカルの遺物のおかげで、謎の多いテオティワカンの文明の一端を知ることができました。
続いて「テオティワカン神々の都」から、「マヤ 都市国家の興亡」にテーマが変わります。

2023年古代メキシコ展〜テオティワカン神々の都〜7/17-3-

2024.05.04(Sat) | EDIT

テオティワカンの神々の都」(羽毛の蛇ピラミッド
都市中心地区の南端「死者の大通り」に面して、一辺約400mの大儀式場
「城塞」が横たわる。
都市の住民10万人がすべて収容可能な規模で、その中心神殿が
羽毛の蛇ピラミッド」である。
羽毛の蛇ピラミッドの壁面は、権力を象徴する「羽毛の蛇神石彫」と
時(暦)の始まりを表す「シパクトリ神」をかたどった石彫で覆われていた。
ピラミッドの内部からは、戦士の集団生贄墓が発見されている。

「司令棒」(采配)
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土 木

権力の象徴でもある、羽毛の蛇神の頭部が彫られた司令棒(采配)と考えられ
テオティワカンでは、非常に稀なよい保存状態で出土した木製品。
2023年7月17日15指令棒

上「鼻飾り」
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土 緑色岩
下「鼻飾り」
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土 緑色岩

ガラガラへびの尻尾をかたどった上の鼻飾りは、高位の戦士か神官のシンボルと思われる。
下の花飾りは、羽毛の蛇ピラミッドの「シパクトリ神の頭飾り石彫」とセットで彫られており
権力の象徴品だったと傍証する。
2023年7月17日16鼻飾り

羽毛の蛇神石彫」
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土
安山岩、漆喰

羽毛の蛇ピラミッドの四方の壁面を飾っていた大石彫。
金星と権力の象徴である「羽毛の蛇神」を、表すとされる。
以前Oつがいは、チチェン・イツァ遺跡の神殿にある、ククルカンを
春分の日の1日前に、見学したことがあるのですが
ククルカンは元々、テオティワカンの一集団が信仰していた
この、羽毛の蛇神(ケツァルコアトル神)だったとされています。
2023年7月17日17羽毛の蛇神石彫

シパクトリ神の頭飾り石彫」
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土
安山岩、漆喰

羽毛の蛇ピラミッドの四方の壁面を飾っていた大石彫。
時(暦)の始まりを象徴する創造神「シパクトリ」をかたどった頭飾りを表すとされる。
高度な天文学から導かれた、マヤ暦として有名な長期暦は
テオティワカンの全盛期、各地に導入されたそうです。
2023年7月17日18シパクトリ神の頭飾り石彫

「立像」
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土
緑眼石、黄鉄鉱

2003年に偶然見つかった古代トンネルの最奥部から、4体の人物立像が出土したうちの1体。
4体とも立った状態で発見された。
4体のうち最も大きな女性像で、肩掛けショールとスカート姿で二連の首飾りを着けている。
2023年7月17日19立像

「立像」
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土
緑眼石、黄鉄鉱

2003年に偶然見つかった古代トンネルの最奥部から、4体の人物立像が出土したうちの1体。
上記の女性像と並んで発見された男性像。
王墓があったと想定される最奥部は、ほとんど盗掘されており
断片的に残された床面上に立つ、男女の立像の意味は不明。
2023年7月17日20立像

「トランペット」
テオティワカン文明 150〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土 貝

動物の頭飾りを着け、右手に投槍器を持った戦士、もしくは狩人が描かれている。
投槍器はアトラトルと呼ばれ、鉄器が存在しないメソアメリカでの戦闘時には
広く使用されていました。
2023年7月17日21トランペット

「トランペット」
テオティワカン文明 150〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土 貝

マヤの図像要素を含み、ワニに似た神話上の神が描かれている。
この2点のトランペットは、テオティワカンではみられない美術様式と内容の図像である。
当時、儀式や戦闘の際に仕える、音楽隊も存在していたようです。
2023年7月17日22トランペット

嵐の神の土器
テオティワカン文明 150〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土 土器

農業にとって重要な雨の神である「嵐の神」の姿をした、水差し容器。
テオティワカンで最も重要な神の1つであり、およそ1000年後に栄えた
アステカ時代には、雨の神トラロクとして継承されている。
雨を予兆する稲妻を手に持ち、眉毛、丸眼、盛り上がった上唇
牙に特徴付けられる。
2023年7月17日23嵐の神の土器

「腕」
テオティワカン文明 200〜250年 テオティワカン、羽毛のピラミッド出土
土器、漆喰、彩色

羽毛の蛇ピラミッド下の古代トンネル内に奉納された多様な土器の中で
最も特徴的なテオティワカンの「薄いオレンジ土器」とされる。
2023年7月17日24椀
ちょうど日本では古墳時代にあたる時期、メキシコの中部高地を拠点として
テオティワカンは大繁栄を遂げ、各都市に大きな影響を与えました。
展示品を見学すれば、その一端を十分うかがい知ることができます。
次回は「都市の拡がりと多様性」についての展示です。

プロフィール

Oつがい

Author:Oつがい
ダイビングと、旅行が趣味の
Oつがいです。
ダイビングは、主に
伊豆で、潜っています。
カメラは、O夫が
Nikon P7100
Oつまが
SONY RX100Ⅱを
使っています。
山登りや、ツーリングも
大好き。
バイクはYAMAHA X FORCE
車はHONDA SHUTTLE HYBRIDで
あちこちに、出没。
家の近所から、世界の町まで
美味しいものを求めて
さすらっています。

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