2023年琴平・高松1/9-12-
2023-09-10
さすが四国のハブ駅、各方面への列車が目白押しです。
マリンライナーの発車まで、まだ時間があるので、コンビニで見つけた
7番線に停車しているのは、アンパンマン塗装の、特急いしづち19号松山行き。
Oつがいの乗車する、マリンライナー50号は、お隣のホーム6番線です。
2階建て車両で、Oつがいが乗車した車両は、1階が指定席。2階がグリーン席でした。
Oつがいは1階へ。
マリンライナー50号、定刻通り出発。
瀬戸大橋通過時は、すでに薄暗く、ほとんど景色は見えませんでした。
岡山駅に到着。
在来線ホームから、新幹線ホームへ。
Oつがいの乗車する、のぞみが入線。
のぞみだと、岡山ー東京間も、あっという間。
無事、自宅に到着しました。
日本で一番小さな県という香川県ですが、見どころがたくさん。
再訪確定です。
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2023年琴平・高松1/9-11-
2023-09-07
優秀なタクシー運転手さんのおかげで、岩清尾山古墳群の一部を見学することができた、Oつがい。
次の目的は、帰りの電車までの時間を使った、遅い昼食です。
それを聞いた運転手さん「それならやっぱり、うどんでしょう」
しかし実は、一日中開いているうどん屋は少なく、ほとんどが売り切れ御免。
昼を過ぎれば営業終了なんだそう。
しばらく悩んで
「今、高松で1番人気のうどん屋へ行ってみます?」
香川県民から見ると変わり種の、カルボナーラうどんのお店で
試しに食べてみたところ、「意外に」美味しかったそうです(笑)
しかし行ってみると、残念。やっぱり大行列でした。
時間が遅くなるほど、開いているお店にお客が集中してしまうようです。
「じゃあ、もう一軒。ここはまず大丈夫です」
と、連れてきてくれたのが、JR高松駅前にある「めりけんや」さん。
「ここなら、駅は目の前ですから。お土産を買える場所もすぐそばです」と
どこまでも気が利く方です。
行列もなく、すぐに入れそうなので、ここに決定。
これで、運転手さんとはお別れです。今日は本当にありがとうございました。
お店の前に出ているメニューを見ると
Oつまが「あ!しっぽくうどんがある」
秋から冬にかけて登場する、ローカルグルメだそうです。
運転手さん、最後の最後までナイスでした。
入店。
外から見た印象に比べ、広い店内。席も空いています。
Oつま念願の「しっぽくうどん」
根菜や鶏肉をいりこだしで煮た、具がたっぷり乗った、あったかメニュー。
腰のあるうどんなら、日本中いくらでもありますが、讃岐うどんの腰は独特ですね。
薄味の苦手なO夫も、香川のいりこだしは、すっかりお気に入りに。
ごちそうさまでした。美味しかったです。
お土産用のうどん単品も売っていて、迷わず購入しました。
いい出会いに、美味しいうどん。
素敵な一日になりました。
それでは、JR高松駅へ。
2023年琴平・高松1/9-10-
2023-09-02
このバスに乗れば、屋島を出ることはできるのですが、次の目的地は
またしても、交通の便に不安のある地域。
ダイレクトに到着できるであろう、タクシーの方が効率がいいと考え、バスを見送ります。
タクシーが到着するまでの間、屋島について勉強したり
美しい景色を眺めたりして、時間調整。
到着したタクシーに乗り、目的地を告げると
運転手さん「う〜ん、昔子供を連れてお花見に行ったりしたのだけど・・・」
Oつがいが告げた、岩清尾山古墳群(いわせおやまこふんぐん)は
栗林公園の背後(西側)の紫雲山から、西にひとつながりになった山塊で
大いに悩んでおられましたが「よし、とにかく行ってみましょう」
しかしこの運転手さん、凄かった。
古墳群の近くまでいくと、突然車を止め、どこかに消えていったかと思うと
息を切らせながら、戻ってきました。
近所の詳しそうな方に、聞き込みをしてくださっていたのです。
おかげで、まずはめでたく、姫塚古墳に到着。
「姫塚」の名が付いているそう。
積石の間から、円筒埴輪片が見つかり、竪穴式石室と考えられる場所からは、鏡が出土したそうです。
古墳時代前期に造られた、これらの古墳は、階段状の積み石を使った
讃岐地方独自のスタイルで、とても貴重な遺構です。
小塚古墳までは、なんとか来られました。
ここからがまた難題です。地図ではさっぱりわかりません。
すると運転手さん、近くで犬の散歩をしていた方を捕まえ、ふたたび聞き込み開始。
犬を撫でながら、あれこれ話しているうち、ふと振り返ると、どなたかこちらに向かって歩いてきます。
なんと、最初に有力情報をくれた方でした。
Oつがいが遠くからこの古墳を見に来たと聞いて、案内するために
わざわざ追いかけてきてくださったというのです。
その方の先導のおかげで、無事「石船積石塚」に到着。
全長約57mの前方後円墳で・・・と、古墳の説明を聞いていると
「是非、見てもらいたいものがあるので、上に行きましょう」
えっ、上っていいんですか!?
「大丈夫です。私、ボランティアで、この古墳の整備をしているんです」
なんと、そうだったのですね!あの、整備と言いますと・・・?
「積石塚なので、石の間から草が生えてきてしまうんですが、
根っこから引っ張ると、石が崩れてしまうので、伸びた葉の部分だけを
ハサミで切っているんです」
あまりのお話にOつがい、半ば呆然。
呆然としたまま、頂上部に着くと
「どうぞ、こちらをご覧ください」
現れたのは、立派な石棺と
石枕。
昭和の時代に盗掘にあって、そのままにされているそう。
野晒しになった石枕など、今まで見たことがありません。
先ほども記したように、ここには地方色の強い、独自の古墳が点在しています。
本来なら、香川県が貴重な遺構として、本気で整備すべきであり
それを今なお、ボランティアの方々に任せているとは・・・と思わず呟くと
力強く「そうなんですよ!」
すっかり意気投合し、さらに奥にある、お勧めの北大塚古墳まで案内を申し出てくださったのですが、
本当に残念。
Oつがい、帰りの電車の時間が迫っています。
ボランティアの方に心からお礼を言い、次回は必ず北大塚古墳を訪れることを、固く約束し
JR高松駅へ戻る、Oつがい。
良い出会いがたくさんありましたが、なんといっても一番のファインプレーヤーは
タクシーの運転手さんでした。
2023年琴平・高松1/9-9-
2023-08-29
屋嶋城からは、タクシーを降りた場所へ戻るのに
屋島寺の境内を通った方が早そうです。
この仁王門から、境内へ。
因みに、お遍路さんの正規ルートは、こちらの門からだそうです。
増長天・持国天、多聞天・広目天の四天王像(東大寺型)が安置されているのが
名の由来だそうですが、知らなかったので、見学せずそのまま通過してしまいました。
のち和上の弟子で、東大寺戒壇院の恵雲律師が、堂塔を建立して精舎を構え
「屋島寺」と称し初代住職になりました。
北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し
本尊として安置したそうです。
鎌倉様式を忠実に再建した、重要文化財の本堂。
参拝の後、境内を散策。
赤い鳥居が並ぶ、蓑山明神。
日本三大狸と称される、屋島太三郎狸が祀られています。
言い伝えによると
「鑑真が日本に渡り、奈良へ赴く途中のこと。
瀬戸内海を船で移動していると、山頂に光り輝くものの気配を感じ
すぐにその地を訪ねることにした。
そこで盲目の名僧を山頂まで案内したのが、太三郎狸であったとされる。」
屋島寺の鐘楼・・・
なのに、鐘が外されています。
千躰堂には、千躰の観音様が祀られているそうです。
東大門。
駐車場から近いので、観光客にとっては、ここが入口にあたる感じです。
駐車場に戻ったものの、さて、ここからどうやって山を下るか・・・
2023年琴平・高松1/9-8-
2023-08-26
眺めのいい場所から、少し進んだところに
目指していた、古代山城屋嶋城(こだいやましろやしまのき)の入口があります。
当時、朝鮮半島では高句麗、百済、新羅(こうくり、くだら、しらぎ)という3つの国が争い
倭は新羅と唐(現在の中国)の連合軍に滅ぼされた、百済に援軍を求められ
663年「白村江(はくすきのえ)の戦い」に参戦するも、大敗北。
中大兄皇子は国を守るため、交通の要所に城を築かせました。
残っているにも関わらず、その実態の特定が難しく「幻の城」と呼ばれてきたのだそうです。
古代の屋島は、備讃瀬戸に浮かぶ文字通りの「島」でした。
「メサ」と呼ばれる、切り立った溶岩台地の断崖が連続した独特の地形が
自然の要塞となり、城づくりに適していたのではないかといわれています。
屋島は北嶺と南嶺の2つからなっていて、屋嶋城の遺構が確認されているのは
現在のところ、南嶺山上と標高100mほどにある浦生(うろ)地区です。
屋嶋城の調査研究は大正時代から行われており、西麓の浦生(うろ)集落の上方にある
石塁跡はすでに知られていました。
そんな中、地元の歴史愛好家が平成10年に、山林に埋もれた石積みの一部を発見し
これを機に、高松市教育委員会が発掘調査を開始。
そして平成14年、城門が発見されたことにより、屋嶋城の実在が確実になりました。
自然の地形を最大限に活用した屋嶋城は、全長7kmにわたる国内最大級の城壁を有し
そのうち約1割が、人工的に築かれたものと考えられていて
城門跡には、朝鮮半島の城づくりの技術を裏付ける
大陸からの侵攻に備えた、当時の国家的一大事業。
築かれた頃は「瀬戸内海が一望できる立地だったのだろうな」と、往時に思いを馳せます。
発見当時の屋嶋城のようす。
平成19年度からは、高松市により修復工事が行われ
貴重な遺構を見学することができ、大満足です。