2022年富士宮・西湖11/6-6-
2023-04-03
2022年富士宮・西湖11/6-5-
2023-03-28
西湖蝙蝠穴管理事務所に到着。
ここは訪れたことがあるのですが、以前と比べずいぶん綺麗になっているのにビックリ。
今回の目的は、西湖蝙蝠穴に入ることではなく
併設している、クニマス展示館の見学です。
それでは入館(無料です)。
クニマスと言えば、ご存知の方も多いと思いますが
昔は秋田県の田沢湖に生息していたものの、すでに絶滅していたと思われていた種です。
以後、京都大学で解剖や遺伝子解析を行った結果
正式にクニマスであると発表されました。
それが、2010年のこと。
天皇陛下から、お言葉をいただけるほど、貴重な大発見だったのです。
山梨県知事の挨拶文もあり
最後に、さかなクンから送られたクニマスの標本を調べた
京都大学の中坊徹次教授の言葉で締めくくられています。
ここまで来て、Oつがいは「???」
発見者であるさかなクンの名前が、一度も出てこないのは、なぜでしょう。
かな〜りモヤモヤした気持ちは残りますが、引き続き展示を見学します。
まずは、クニマスの故郷である秋田県の田沢湖で、漁に使われていた
田沢湖まるきぶね(国指定重要民俗文化財)の展示。
昭和15年以前までは、この船でクニマスの他に、コイ、イワナ、アユ、ウナギを
獲っていたそうです。
秋田県の田沢湖が唯一の生息域だった、クニマス。
水力発電用のダム建設に伴い、田沢湖の水質が急速に酸性化したため
1940年代に絶滅したとみられていました。
ただ絶滅前の1935年、人工ふ化実験のため、富士山のふもとにある西湖などへ
受精卵を放流していたそうです。
当時は成魚の発見に至らず、すっかり忘れ去られていましたが
その時の卵から生まれた稚魚が生き延び、交配を繰り返して、生存していたようです。
もう一つ、田沢湖と西湖は類似点が多く、クニマスの生息に適していた環境だったのも
生き延びられた、大きな理由のようです。
西湖産のクニマスとヒメマスの個体標本。
クニマスとヒメマスは、どこが違うのか?
正直、見ただけでは、ほとんど違いはないように思えます。
それでは、生きている個体で見比べてみましょう。
まずは、クニマス。
続いて、ヒメマス。
Oつがいには、クニマスの方が「やや黒い」くらいしか分かりません。
実際にこれまでも西湖では「クロマス」と呼ばれ、存在自体は認識されていましたが
単にヒメマスの黒い個体だろうと思われていたそうです。
それを「これは!?」と見抜いたさかなクンは、やっぱりすごい!
2022年富士宮・西湖11/6-4-
2023-03-22
2022年富士宮・西湖11/6-3-
2023-03-18
参拝を終え、広い境内を散策。
まず目につくのは、信玄桜。
武田信玄公お手植えの、枝垂れ桜の二世。
満開のシーズンは、さぞ綺麗でしょうね。
第七次南極観測船ふじの乗組員によって採取された、南極の石。
富士山噴火の時の、火山弾。
重さは約100kgあるそう。恐ろしい・・・
東門を通って、湧玉池へ向かいます。
東門を出ると目の前に広がる、国の特別天然記念物に指定されている、湧玉池。
とても綺麗な水が、毎秒2.4kl湧き出しています。
水屋神社に続く道沿いには、水が引かれています。
水屋神社。
水屋神社側から流れた水が、集まる辺りが
禊所。
富士道者は、湧玉池で身を清めて、六根清浄を唱えながら富士登山するのが
昔からの習わしだそう。
ちなみにここ湧玉池、年間を通して水温は13°だそうです。
湧玉池の外れにある、稲荷神社。
稲荷神社の辺りまで来ると、水面にも水中にも水草が。
水面は静かですが、流れのあるのがわかります。
湧玉池から本殿に戻る途中にある、天神社。
本殿がよく見える場所にきました。
徳川家康公の寄進によるもので、富士山本宮浅間大社HPによると
「二重の楼閣造で棟高45尺、浅間造りと称し其の構造は他に例がありません。
1階は5間4面葺卸の宝殿造り、2階は間口3間奥行2間の流れ造りで共に桧皮葺です。
明治40年5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定され
以後国宝又は重要文化財として特別の保護を受けています。」
素人目にも、独特な造りなのがよくわかります。
富士山本宮浅間大社、その名のとおり雄大で清らかなお社でした。
とても素晴らしかったです。
2022年富士宮・西湖11/6-2-
2023-03-15
目的地「富士山本宮浅間大社」に到着。
山道を進むと
三乃鳥居が現れます。
建久4年(1193)、源頼朝は富士山麓で巻狩りを行なった際に
駿河国一之宮である富士山本宮浅間大社に参拝。
流鏑馬(やぶさめ)を奉納して、武運長久、天下泰平を祈願しました。
現在でも、毎年5月4日から6日に桜馬場で『流鏑馬祭』が行われているそうです。
富士山本宮浅間大社HPによると
「楼門は、間口4間、奥行2間半、高さ6間半2階入母屋造で
正面・左右脇に扉が付きます。
楼門の左右には随身が安置してあり背銘に慶長19年(1614)の年号があります。
楼門に掲げる扁額は聖護院入道盈仁親王の御筆で文政2年に制作されたものです。」
楼門の前に置かれている「鉾立石」
明治初年まで行われていた山宮御神幸の際、神鉾を休め奉った場所で
現存するのは、この楼門前を含めて2基だけだそう。
手水舎でお浄めをして、境内へ。
以下、HPからの抜粋です。
外側・内側は丹塗となっておりますが、極彩色は蟇股・虹梁彫刻などにとどまります。
拝殿は、間口5間、奥行5間で、床が幣殿より2段高くなっています。
正面が入母屋造、背面が切妻造で、正面に向拝が1間出ています。
正面に扉があり、左右は蔀戸によって区切られています。
正面左右には濡縁を巡らせてあります。
参拝をしたら、境内を散策しましょう。