福岡・佐賀の旅3/21-7-
吉野ヶ里にある、2つの中心区域の中の1つである、南内郭。
ここでは吉野ヶ里の「国」の「大人」(たいじん。支配層のこと)たちが暮らしながら
「国」の政治を執り行っていた場所と、考えられているそうです。
それでは、南内郭の門から入場しましょう。
物見櫓。
上には四方に盾が置かれ、見張りの兵士もいたと思われます。
裁定を取り仕切る大人の家。
今でいう裁判所のようなものでしょうか。
内部も、ちゃんと復元されています。
集会の館。
王や大人たちが集まり、儀式や話し合いをする場所。
その奥が、外交を取り仕切る大人の家。
中ではこのように、大人(右)がよその国の使者(左)の話を聞いたのでしょう。
もう1つ物見櫓があり、こちらは登ることができます。
物見櫓からの景色。
見えているのは、吉野ヶ里遺跡のほんの一部。
煮炊屋。
今まで見てきたような住居の中に、煮炊きの痕跡がないことから
独立した炊事場があったと推定されているそうです。
ここで、王や大人たちの食事を作っていました。
山海の幸が揃って、なかなか豪華な材料ですね。
ここは、王の妻の家。
内部では、妻が機を織っています。
先ほど展示室で見た、染糸を使った服を着用しています。
王が結婚した娘のために建てたとされる、王の娘夫婦の家。
こちらが王の家。
王が家族と暮らしていた家です。
王の家内部。
王の力を示す品々が置かれています。
さすが王というだけあって?ここだけ人形がとてもリアル。
祭祀・儀礼を取り仕切る大人の家。
ここで、祭りの相談をしたようです。
大人の妻の家。
ここは、祭祀・儀礼を取り仕切る大人の妻の家で
妊娠の儀礼が行われたと考えられています。
軍事や土木を取り仕切る大人の家。
武器や、道具の出来具合などを監督する役割を担っていました。
続いて、中のムラと北内郭を見学します。
ここでは吉野ヶ里の「国」の「大人」(たいじん。支配層のこと)たちが暮らしながら
「国」の政治を執り行っていた場所と、考えられているそうです。
それでは、南内郭の門から入場しましょう。
物見櫓。
上には四方に盾が置かれ、見張りの兵士もいたと思われます。
裁定を取り仕切る大人の家。
今でいう裁判所のようなものでしょうか。
内部も、ちゃんと復元されています。
集会の館。
王や大人たちが集まり、儀式や話し合いをする場所。
その奥が、外交を取り仕切る大人の家。
中ではこのように、大人(右)がよその国の使者(左)の話を聞いたのでしょう。
もう1つ物見櫓があり、こちらは登ることができます。
物見櫓からの景色。
見えているのは、吉野ヶ里遺跡のほんの一部。
煮炊屋。
今まで見てきたような住居の中に、煮炊きの痕跡がないことから
独立した炊事場があったと推定されているそうです。
ここで、王や大人たちの食事を作っていました。
山海の幸が揃って、なかなか豪華な材料ですね。
ここは、王の妻の家。
内部では、妻が機を織っています。
先ほど展示室で見た、染糸を使った服を着用しています。
王が結婚した娘のために建てたとされる、王の娘夫婦の家。
こちらが王の家。
王が家族と暮らしていた家です。
王の家内部。
王の力を示す品々が置かれています。
さすが王というだけあって?ここだけ人形がとてもリアル。
祭祀・儀礼を取り仕切る大人の家。
ここで、祭りの相談をしたようです。
大人の妻の家。
ここは、祭祀・儀礼を取り仕切る大人の妻の家で
妊娠の儀礼が行われたと考えられています。
軍事や土木を取り仕切る大人の家。
武器や、道具の出来具合などを監督する役割を担っていました。
続いて、中のムラと北内郭を見学します。
スポンサーサイト