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タグ:「しなの鉄道」

2020年上田11/22-10-

2021.03.28(Sun) | EDIT

信濃国分寺駅までくれば、信濃国分寺までの案内が見えてきます。
2020年11月22日1信濃国分寺
奈良時代の国家的プロジェクト、信濃国分寺は、この地に建てられました。
7回にわたる発掘調査により、並び建てられた僧寺・尼寺の伽藍の全容が
ほぼ解明されたそうです。
現在は、しなの鉄道の線路や、国道18号が敷地の中を通っているんですね。
2020年11月22日2信濃国分寺
現在も発掘調査中のため、このエリアは立ち入り禁止。
2020年11月22日3信濃国分寺
いっぽう現在の国分寺は、源頼朝の命で復興したと言われ、ほど近い場所へ移転しています。
こちらが、仁王門
脇からも本堂へ行けますが、せっかくなので仁王門を通っていきましょう。
2020年11月22日4信濃国分寺
仁王門から本堂までの道。
住宅地の中を歩きます。
2020年11月22日5信濃国分寺
左側に白壁が現れました。
白壁の中には、阿弥陀仏殿と社務所があります。
2020年11月22日6信濃国分寺
こちらは一般公開されていません。
2020年11月22日7信濃国分寺
本堂が見えてきました。
2020年11月22日8信濃国分寺
まずは手水舎へ。
2020年11月22日9信濃国分寺
本堂を右にそれると
2020年11月22日10信濃国分寺
三重塔(重要文化財)が建っています。
室町中期の建立で、高さ20.1メートル。
初層内部は四天柱を立て、大日如来坐像が安置されています。
心柱は、塔の中心に吊り下げられたような形になっていて
東京スカイツリーと同じ仕組みとのこと。
2020年11月22日11信濃国分寺
昭和7年〜8年にかけて、解体修理が行われた時に取り替えられた、三重塔の古心柱
2020年11月22日12信濃国分寺
解体時の様子。
2020年11月22日13信濃国分寺
鐘樓。
上田藩主、松平伊賀守の後見により享和元年(1801年)棟上
(梵鐘は昭和27年の再鋳)。
2020年11月22日14信濃国分寺
そしてこちらが、本堂薬師堂(長野県宝)。
江戸末期の万延元年(1860年)竣工。
内部は、前側の外陣(参詣の空間)と、奥の内陣(仏の空間)にわかれ
本尊の薬師如来のほか、日光菩薩、月光菩薩及び、十二神将が安置されていて
近世の堂としては、東信地方最大の建造物だそうです。
2020年11月22日15信濃国分寺
大黒天堂。
輪王寺一品親王作と伝える尊像をまつり、大正13年再建。
2020年11月22日16信濃国分寺
第二次上田合戦時の、徳川秀忠(の家臣)と真田昌幸による停戦交渉の場が
ここ国分寺だと言われています。
正確な記録はないそうですが、「国分寺の会見」としてよく知られており
参拝者からも度々質問されるので、観音堂の前に、この碑が建てられたそうです。
2020年11月22日18信濃国分寺
もう少し時間があるので、信濃国分寺資料館へ行ってみましょう。
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2020年上田11/22-9-

2021.03.27(Sat) | EDIT

海野宿を過ぎ、北国街道はまだ続きます。
街道沿いには、古い家が残っているだけではなく
所々に、半鐘が設置されていました。
2020年11月22日1北国街道の続き
古い家が途切れると、道は千曲川に沿うように続きます。
2020年11月22日2北国街道の続き
しなの鉄道の大屋駅に近づくにつれて、再び古い民家がちらほら現れ
2020年11月22日3北国街道の続き
大屋駅を過ぎると、しなの鉄道沿いから、国道18号につながります。
2020年11月22日4北国街道の続き
国道18号「蒼久保」の交差点あたりで、「海野幸義戦死の地」と書かれた場所に出ました。
帰宅してから、海野幸義について調べてみると
根津氏・望月氏と共に「滋野三家」と呼ばれた氏族、海野氏の嫡男。
まさに群雄割拠の時代、武田信虎(武田信玄の父)らが滋野一族を攻め
海野平の戦いが起きました。
海野幸義は天文10年(1541年)5月23日、この戦いで討死したとのことです。
2020年11月22日5北国街道の続き
海野幸義戦死の地」から少し進むと「神川合戦の地」と書かれた場所を見つけました。
神川合戦は、海野平の戦いから下った天正13年(1585年)に
徳川方を撃退したことで、真田氏の名を一躍広めた戦です。
今はこの通り、平和な風景が広がっています。
2020年11月22日6北国街道の続き
さらに国道18号を上田方面に進むと
2020年11月22日7北国街道の続き
ようやく、案内が現れました。
2020年11月22日8北国街道の続き
信濃国分寺駅に到着。
2020年11月22日9北国街道の続き
ここまでくれば、目的地はもうすぐです。

2020年上田11/22-5-

2021.03.14(Sun) | EDIT

それでは、午後の観光スタートです。
朝は気が付きませんでしたが、上田駅にも六文銭が描かれていました。
2020年11月22日1田中〜白鳥神社
午後は、しなの鉄道で移動します。
2020年11月22日2田中〜白鳥神社
Oつがいの乗る電車は、11時27分発の軽井沢行き。
2020年11月22日3田中〜白鳥神社
ホームに降りると、すでに湘南カラーの電車が止まっています。
ちょっと慌てましたが、こちらは、11時28分発の長野行きでした。
2020年11月22日4田中〜白鳥神社
Oつがいの乗る、軽井沢行きが到着。
新しい車両のようです。
2020年11月22日5田中〜白鳥神社
車内は、そこそこ混んでいます。
2020年11月22日6田中〜白鳥神社
上田から3つ先の田中駅で、電車を降ります。
江戸時代には、田中宿があった場所です。
2020年11月22日7田中〜白鳥神社
レトロ感を残しつつ、新しい雰囲気も出している駅舎。
観光案内所があったので、情報収集をさせていただきました。
2020年11月22日8田中〜白鳥神社
まずはここから、北国街道を歩いて、お隣の海野宿を目指します。
2020年11月22日9田中〜白鳥神社
途中、分かれ道もありますが、案内表示があるので
迷うことはなさそう。
2020年11月22日10田中〜白鳥神社
街道沿いでは今でも所々で、屋号を掲げた家が見られます。
2020年11月22日11田中〜白鳥神社
当然ながら、車用道路が整備されているので
どこが北国街道なのか、案内なしでは見失いそう。
2020年11月22日12田中〜白鳥神社
遠くに、雪をかぶった山が見えます。
この風景は、昔の旅人たちも同じように眺めていたことでしょう。
2020年11月22日13田中〜白鳥神社
マンホールに「とうぶ」と、書かれていますが
これは昔、この辺りが東部町だった頃の名残。
2004年4月1日に、北御牧村(きたみまきむら)と合併し現在は東御市(とうみし)だそうです。
2020年11月22日14田中〜白鳥神社
役場跡を過ぎると
2020年11月22日15田中〜白鳥神社
しなの鉄道の線路と、平行して歩きます。
2020年11月22日16田中〜白鳥神社
柿の木の上に広がる、青い空に白い雲。
秋ですね〜。
2020年11月22日17田中〜白鳥神社
ここで、しなの鉄道の線路を渡ったところで
2020年11月22日18田中〜白鳥神社
海野宿に到着。
2020年11月22日19田中〜白鳥神社
街道旅の無事を報告しに、白鳥神社へ向かいましょう。

プロフィール

Oつがい

Author:Oつがい
ダイビングと、旅行が趣味の
Oつがいです。
ダイビングは、主に
伊豆で、潜っています。
カメラは、O夫が
Nikon P7100
Oつまが
SONY RX100Ⅱを
使っています。
山登りや、ツーリングも
大好き。
バイクはYAMAHA X FORCE
車はHONDA SHUTTLE HYBRIDで
あちこちに、出没。
家の近所から、世界の町まで
美味しいものを求めて
さすらっています。

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